ショパン:12の練習曲
ショパン:12の練習曲
ポリーニ(マウリツィオ)(演奏)
ショパン(作曲)
ユニバーサル ミュージック クラシック
グループ:Music /ランキング:4677
価格:¥ 1,890
発売日:2002-09-25 /只今品切れ中
ポリーニ(マウリツィオ)(演奏)
ショパン(作曲)
ユニバーサル ミュージック クラシック
グループ:Music /ランキング:4677
価格:¥ 1,890
発売日:2002-09-25 /只今品切れ中
曲目リスト
1.12の練習曲op.10
2.12の練習曲op.25 ※〈エンハンストCD〉
1.12の練習曲op.10
2.12の練習曲op.25 ※〈エンハンストCD〉
レビュー(Amazon.co.jp)
???20世紀のあらゆるショパンの名録音のなかで、その頂点にさん然と輝きわたる不滅の名盤中の名盤。戦後ピアノ界史上最大の天才ポリーニが、満場一致でショパン・コンクールに完全優勝しながらも10年もの研鑽(けんさん)による沈黙を経て、ようやく満を持して世に問うた、この完璧なるエチュードの演奏記録は、今もって凄まじい衝撃で聴くものを打ちのめす。
???まず冒頭のハ長調のエチュードからして、ヘラクレスのような強靭な筋肉美に目がくらむ。冷徹な外観の奥に燃えさかる炎のような情熱、ほのかな詩情、そして鋼の意志が全曲を貫き、一分の隙も与えない。これを聴き始めたが最後、「別れの曲」「黒鍵」「革命」「木枯らし」を経て最後の「大洋」まで24曲すべて聴き終えるころには、誰もがショックとろうばい、そして感動に飲み込まれてしまうだろう。これほどの完璧さは、もしかすると…狂気寸前のもの?
???今にして思えば、1972年のこの録音は、従来の甘くロマンティックでサロン的なショパン観を完全に覆し、クールでたくましい意志の音楽としてのショパンという視点を導入したという意味でも、ピアノ演奏史を塗り替えた画期的演奏だったのではないか。ともかく、万人必聴であることはまちがいない。(林田直樹)
???20世紀のあらゆるショパンの名録音のなかで、その頂点にさん然と輝きわたる不滅の名盤中の名盤。戦後ピアノ界史上最大の天才ポリーニが、満場一致でショパン・コンクールに完全優勝しながらも10年もの研鑽(けんさん)による沈黙を経て、ようやく満を持して世に問うた、この完璧なるエチュードの演奏記録は、今もって凄まじい衝撃で聴くものを打ちのめす。
???まず冒頭のハ長調のエチュードからして、ヘラクレスのような強靭な筋肉美に目がくらむ。冷徹な外観の奥に燃えさかる炎のような情熱、ほのかな詩情、そして鋼の意志が全曲を貫き、一分の隙も与えない。これを聴き始めたが最後、「別れの曲」「黒鍵」「革命」「木枯らし」を経て最後の「大洋」まで24曲すべて聴き終えるころには、誰もがショックとろうばい、そして感動に飲み込まれてしまうだろう。これほどの完璧さは、もしかすると…狂気寸前のもの?
???今にして思えば、1972年のこの録音は、従来の甘くロマンティックでサロン的なショパン観を完全に覆し、クールでたくましい意志の音楽としてのショパンという視点を導入したという意味でも、ピアノ演奏史を塗り替えた画期的演奏だったのではないか。ともかく、万人必聴であることはまちがいない。(林田直樹)
カスタマーレビュー
おすすめ度:
最もロマンティックなショパン(有害指定)
(2008-07-09)
吉田秀和氏のラジオ番組で聞き惚れ、レコード屋に走ってから何年たつのやら。
ヒリヒリするリズム感、完璧なタイム感覚、強靭な造形意思、濃密な感受性・・、今だ聴き飽きることなし。
この一枚、ピアノ弾きを目指す人は聴いてはいけません、
自分の潜在力を自覚するしかありません。
音盤愛好家の方も気をつけてください。
無意識のうち他のピアノ弾きの技術点が見えてしまいます。
現代の至高の藝術
(2008-03-29)
まずはじめにひとこと書くとすれば、「完璧」という言葉がもっとも相応しいCDである。
このCDを聴く機会に幸運にも恵まれた、他の多くの人々が異口同音に書き連ねるように、まさに完璧の演奏である。
ここでいう「完璧」とは、演奏の技術、作品の表現、全体を達観したときの総合的な藝術性といった、この演奏のすべての面における評価である。
ショパンがこの練習曲(エチュード)を精魂込めて作曲した際に、ショパンの意図していたことは、「練習曲なので一音たりともおろそかにはせずに、完璧に弾きこなして欲しい」ということなのではないか。そして、すべての音を完璧に弾きこなしてこそ、連なる音符の奥底に「ピアノの詩人」たるショパンが込めた、繊細な叙情性や精神性を、はじめて表現することができるのではないか。このCDを聴くと、感動に鳥肌を立てながら、そう思えてくるのである。それは、このポリーニの演奏において、先に述べたことが極めて高い次元で実現できているからに他ならない。これこそ、「至高の藝術」である。このポリーニの演奏の藝術性の高さは、いまとなっては歴史上の近寄りがたい伝説となってしまっている、「パガニーニのヴァイオリン演奏」や、「リストのピアノ演奏」などといったものに、勝るとも劣らないのではないかというほどの名演である。少なくとも、人類の「音楽」という営みの一角に、大きな功績を打ちたて、刻み付けたということができるのではないか。私自身は、時折このCDを聴ききつつ、そう確信している。
「ショパンの練習曲の演奏の決定盤」、というと少々言葉が足りないぐらいだが、まぎれもなく決定盤といえる、ポリーニの名演である。
素晴らしいの一言
(2008-01-06)
ショパンの練習曲も極めるとここまで来るのかという録音。本当に演奏が素晴らしい。
よく技術だけとか批判する方もいらっしゃるが、そもそもこの曲は『練習曲』なのであることをお忘れなのではなかろうか。練習曲というのは技巧を磨くためにいくつもの課題を作曲家が織り込んだ曲だと個人的には思っている。だとすれば、技巧を極限まで高め練習曲を弾くということは批判されるべきことなのか当然疑問に感じる。
この曲に関するポリーニの解釈というのが完璧を求めた技巧に答えがあるものだと思う。彼自身の解釈を考えながら演奏を聴くのもまたクラシックの楽しみ方の一つではないかと考えている。ポピュラーミュージックのように歌詞の無いクラシックは演奏された曲が何かを語りかけてくれるのを待っていることだけが楽しみ方ではない。
人間はここまで正確になれるのか
(2007-12-15)
一流の演奏家は皆、ショパンのエチュードを華麗に弾く技術を備えている。しかし、その中でもポリーニの演奏は飛び抜けて美しい。寸分の狂いもない機械のような演奏だが、まぎれもなく人間の演奏なのだから、人間はここまで正確になれるのか、という驚嘆の気持ちにもなった。正確であることの美しさ、それを感じられる演奏だ。
もう一つの解釈
(2007-07-09)
彼の演奏を批評する時にまず考えなければならないことがある。それはこの録音の演奏技巧を褒めちぎることで、あるいは逆にテクニックだけの音楽として退けることでポリーニの音楽とすり替えてしまうことだ。これは多くの人が犯す勘違いで、ポリーニのショパン観はむしろヴィルトゥオースィティを超越し、漲る情熱をも隠蔽してしまうカリスマ性で、それが彼自身によって怜悧にコントロールされているのだ。もしかしたらそれがショパン自身の求めた音楽の姿かも知れない。それだけに過去の演奏家に代表される甘美さや哀愁などは求めるべくもない。彼はすべてを容赦ない強い光の下にさらしてその姿をくまなく暴かなければ気が済まないのだ。テクニックについて言えば、彼が技巧を誇示する演奏家でない事はフランツ リストをレパートリーから遠ざけていることで一目瞭然だろう。後にロ短調ソナタを含む数曲だけは例外的に録音したが、それらは奇しくもいわゆる技巧曲ではなく、彼がこれらの曲に共感できるカリスマ性を見いだしたからに違いない。
おすすめ度:
最もロマンティックなショパン(有害指定)
吉田秀和氏のラジオ番組で聞き惚れ、レコード屋に走ってから何年たつのやら。
ヒリヒリするリズム感、完璧なタイム感覚、強靭な造形意思、濃密な感受性・・、今だ聴き飽きることなし。
この一枚、ピアノ弾きを目指す人は聴いてはいけません、
自分の潜在力を自覚するしかありません。
音盤愛好家の方も気をつけてください。
無意識のうち他のピアノ弾きの技術点が見えてしまいます。
現代の至高の藝術
まずはじめにひとこと書くとすれば、「完璧」という言葉がもっとも相応しいCDである。
このCDを聴く機会に幸運にも恵まれた、他の多くの人々が異口同音に書き連ねるように、まさに完璧の演奏である。
ここでいう「完璧」とは、演奏の技術、作品の表現、全体を達観したときの総合的な藝術性といった、この演奏のすべての面における評価である。
ショパンがこの練習曲(エチュード)を精魂込めて作曲した際に、ショパンの意図していたことは、「練習曲なので一音たりともおろそかにはせずに、完璧に弾きこなして欲しい」ということなのではないか。そして、すべての音を完璧に弾きこなしてこそ、連なる音符の奥底に「ピアノの詩人」たるショパンが込めた、繊細な叙情性や精神性を、はじめて表現することができるのではないか。このCDを聴くと、感動に鳥肌を立てながら、そう思えてくるのである。それは、このポリーニの演奏において、先に述べたことが極めて高い次元で実現できているからに他ならない。これこそ、「至高の藝術」である。このポリーニの演奏の藝術性の高さは、いまとなっては歴史上の近寄りがたい伝説となってしまっている、「パガニーニのヴァイオリン演奏」や、「リストのピアノ演奏」などといったものに、勝るとも劣らないのではないかというほどの名演である。少なくとも、人類の「音楽」という営みの一角に、大きな功績を打ちたて、刻み付けたということができるのではないか。私自身は、時折このCDを聴ききつつ、そう確信している。
「ショパンの練習曲の演奏の決定盤」、というと少々言葉が足りないぐらいだが、まぎれもなく決定盤といえる、ポリーニの名演である。
素晴らしいの一言
ショパンの練習曲も極めるとここまで来るのかという録音。本当に演奏が素晴らしい。
よく技術だけとか批判する方もいらっしゃるが、そもそもこの曲は『練習曲』なのであることをお忘れなのではなかろうか。練習曲というのは技巧を磨くためにいくつもの課題を作曲家が織り込んだ曲だと個人的には思っている。だとすれば、技巧を極限まで高め練習曲を弾くということは批判されるべきことなのか当然疑問に感じる。
この曲に関するポリーニの解釈というのが完璧を求めた技巧に答えがあるものだと思う。彼自身の解釈を考えながら演奏を聴くのもまたクラシックの楽しみ方の一つではないかと考えている。ポピュラーミュージックのように歌詞の無いクラシックは演奏された曲が何かを語りかけてくれるのを待っていることだけが楽しみ方ではない。
人間はここまで正確になれるのか
一流の演奏家は皆、ショパンのエチュードを華麗に弾く技術を備えている。しかし、その中でもポリーニの演奏は飛び抜けて美しい。寸分の狂いもない機械のような演奏だが、まぎれもなく人間の演奏なのだから、人間はここまで正確になれるのか、という驚嘆の気持ちにもなった。正確であることの美しさ、それを感じられる演奏だ。
もう一つの解釈
彼の演奏を批評する時にまず考えなければならないことがある。それはこの録音の演奏技巧を褒めちぎることで、あるいは逆にテクニックだけの音楽として退けることでポリーニの音楽とすり替えてしまうことだ。これは多くの人が犯す勘違いで、ポリーニのショパン観はむしろヴィルトゥオースィティを超越し、漲る情熱をも隠蔽してしまうカリスマ性で、それが彼自身によって怜悧にコントロールされているのだ。もしかしたらそれがショパン自身の求めた音楽の姿かも知れない。それだけに過去の演奏家に代表される甘美さや哀愁などは求めるべくもない。彼はすべてを容赦ない強い光の下にさらしてその姿をくまなく暴かなければ気が済まないのだ。テクニックについて言えば、彼が技巧を誇示する演奏家でない事はフランツ リストをレパートリーから遠ざけていることで一目瞭然だろう。後にロ短調ソナタを含む数曲だけは例外的に録音したが、それらは奇しくもいわゆる技巧曲ではなく、彼がこれらの曲に共感できるカリスマ性を見いだしたからに違いない。
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